マルクス・ブラザーズのぺえじ

形だけのページシリーズ、今回はマルクス兄弟編。適当なもんなんで、適当に見てもらって、マルクス兄弟に興味を持ってもらえたらなんてそんな感じです。
以下の文章は、1993/10/11〜1994/1/14まで新宿武蔵野館において行われたマルクス・ブラザーズ映画祭のちらしに寄稿したケラさんの文章の無断引用です。ごめんなさい、許して。
「父の借金とマルクス兄弟」KERA
今から15年前、中学3年の時だ。マルクス・ブラザーズの”幻の”最高傑作「我輩はカモである」を観る、ただそれだけの為に学校をサボってニューヨークへ行こうとした。当時の僕はチャップリンに端を発し、キートン、ロイドの三大喜劇王はもちろん、ラリー・シモンやらペン・ターピンやらハリー・ラングドンといった、なんだかよくわからない奇妙なコメディアン達のものまで、サイレント期のスラップスティック・コメディは大方見尽くしていた。コメディフリークとしてはいよいよトーキー初期の作品に手をつけなくてはと思っていた頃だ。そこでぶつかった壁がマルクス兄弟だった。中原弓彦(=小林信彦)氏や植草甚一氏をはじめとするマルキスト諸氏の残した文章は僕をアオるだけアオるのだが、なにしろ勘甚のフィルムが日本では1本も観られないという悲惨な状況に地団駄を踏んでいた。ふざけんな。ヘビの生殺しじゃないか。そこへニューヨークでの「カモ」上映の吉報が舞い込んできたワケだ。僕は本気だった。もしも、まだ月刊誌だったぴあに載っていた”「カモ」+「オペラ」2本立て自主上映”のニュースを見逃していたら、僕は本当に父親の貯金を無断でおろして飛行機のチケットを手に入れていただろう。間一髪だった。そんなワケで数週間後、新宿の歌舞伎町にあったアートウィレッジという小さなスペースの前に、小太りの暗そうな中学生が立っていた。片手には名著「マルクス兄弟のおかしな世界」、もう片手にはカセット・テレコ。もちろん映画の音声を記録する為のものだ。必要もないのに徹夜して並んだ。こうして少年の初の海外旅行は延期され、彼は父親に殴られずにすんだ。まさに夢のような一夜だった。今でもこの時のカセットテープは残っているが、とても100名弱の観客とは思えない程の壮絶な笑い声と拍手の連続にかき消され、グラウチョの早口もハーポの警笛もチコのピアノもほとんど聞こえやしない。
それから数年かけて、結局僕はオヤジの借金を200万ぼかり使い込み、8ミリや16ミリの輸入フィルムでほぼすべてのマルクス作品を手に入れ、3回殴られた。あの頃45年も昔の作品だと驚いていた「カモ」が、当然のことだが、15年を経た今年はなんと制作後60周年を迎える。あのデタラメな映画がそんなにも昔に作られたことは、モンティ・パイソンが25年も前に始まったことと同じ位驚異だ。
それにしてもどうだ、今ではビデオで日本中どこでも彼らの映画を浴びるように観ることができる。嬉しいけどひどく悔しい。ふざけんな。誰か死んだオヤジに200万返してやっちゃくれまいか。ああ、それにしてもそれにしても、「カモ」が武蔵野館のスクリーンで観られるなんて!
<P.S>どうせならば「カモ」以前の4作品もぜひ公開して頂きたい。MGM期の”人にやさしいマルクス”もいいけど、パラマウント期の”容赦ないマルクス”がやっぱりカッコイイっす。
※この時の上映作品は週代りで「オペラは踊る」「マルクス一番乗り」「マルクス兄弟珍サーカス」「マルクスの二挺拳銃」「マルクス兄弟デパート騒動」「我輩はカモである」を上映しました。私もすでに全作品ビデオで見ていたのですけど、やっぱ我カモはスクリーンで観なきゃとばかりに映画祭にでかけました。意外と多かったお客さん。外人さんもいました。スクリーンで動き回るマルクス兄弟と、爆笑するお客と、その雰囲気にとても感動したのをよく覚えています。
マルクス兄弟について

マルクス兄弟はドイツの旅芸人の両親の元に生まれた5人兄弟。そのうち映画に出たのは写真左からゼッポ、ハーポ、チコ、グルーチョの4人。右手だけやけに器用にピアノの速弾きをするイタリア訛りのチコ、インクでかいたヒゲで葉巻をくわえ腰を低く落として動き廻るグルーチョ、唖役で決してしゃべらないが世界有数のハープ奏者のハーポ、という強烈なキャラクターに比べていたって普通な人のゼッポは、「我輩はカモである」を最後に、映画にはでてません。もともとヴォードビルの舞台出身で、「ココナッツ」や「けだもの組合」などはその舞台をスクリーンに持ってきたものです。
なんか、まじめに解説しちゃいましたけど、とにかくマルクス兄弟はアナーキーで面白いです。私も最初はチャップリンとかと一緒と思ってなめてました。で、ビデオを見てその考えを改めました。もうやってる事がメチャメチャ。3人ともボケ役っていうか、それでそのままストーリーも進行。マルクス兄弟の映画は1929年から1949年までなんですけど、そんな昔にこんなナンセンスな笑いが理解できたのかと不思議です。って、実際は公開時はやはり受け入れられてなかったみたいですけど。やはりマルクス兄弟は偉大です。
作品について
マルクス兄弟が出演した映画は全部で13本。そのうち最初の5本がパラマウントで制作されたものでゼッポを含む4人が出演。その後の8本がMGMで制作されたものでグルーチョ、チコ、ハーポ3人によるものですが、一番最後の「ラヴ・ハッピー」はハーポ主演作で、番外編みたいな感じです。
とにかくオススメは「我輩はカモである」です。もう、これは騙されたと思って何がなんでも見て欲しい。我カモならレンタル屋何件か探せばあったりすると思うし、なくても廉価版ビデオも売ってるハズ。他の作品にあるようなハーポのハープやチコのピアノといった芸での見せ場も省いて、とにかくギャグが濃縮された作品。個人的にコメディ映画の最高峰だと思ってます。映画の冒頭から、いんちきのカタマリのようなマルクス兄弟の虜にきっとなるはず。
「けだもの組合」と、あと「我輩はカモである」以降の作品は全部ビデオになってます。でも廃盤のやつがかなり多いので頑張って探しましょう。それ以外の「ココナッツ」「いんちき商売」「御冗談でショ」でさえ、LDが発売されて見れるようになりました。私、その為にLDプレーヤー買っちゃいました(笑)。でもLDも、たぶん入手困難状態です。他にグルーチョの単独作「マルクスの競馬騒動」なんてビデオもあります。
その他
「御冗談でショ」の主題歌「EVERY SAYS I LOVE YOU」を、まんまパクってケラさんは「犬」という曲として唄ってます。また、この曲を主題歌にしたウディ・アレンの映画「世界中がアイラブユー」では全員グルーチョのカッコしたパーティなんかも登場。ウディアレンもマルクスファンとして有名みたいです。
音自体は映画からとったものなんで、あんまりよくないんだけど、グルーチョの歌、ハーポのハープ、チコのピアノが聴けるファンならたまらない「THE MARX BROTHERS SING & PLAY」なんて3枚組のCDもあります。これ、かなり探してようやく手に入れました。あと、イギリスに行った時に「AN EVENING WITH GROUCHO MARX」なんてカセットも買いました。これはカーネギーホールでのグルーチョのライブのものみたいです。
日本で出版された本としては、やっぱり「マルクス兄弟のおかしな世界(晶文社)」はファン必読ですね。全作品がくわしく解説されてます。あと、マルクス兄弟が当時やっていたラジオ番組の脚本が本になった「マルクス・ラジオ(角川書店)」。ラジオなわけで当然しゃべらないハーポは登場してないんですけど、そのグルーチョとチコをなぜか大竹まことときたろうが演じてるのが表紙になってます。ケラの文章も1ページあり。そして、グルーチョ自身がかいた「グルーチョ・マルクスの好色一代記(青土社)」なんてのもあります。
ビデオ置いてあるレンタル屋を探しては借りて、そんでもって初期の作品がみれなくてくやしがってたら、ナイロン100℃の「スラップスティックス」という公演の企画で、昼間にサイレント映画上映会があって、そこで「いんちき商売」と「御冗談でショ(ハイライトシーン集)」を観る事ができた。もちろん字幕無だったのに、そんな事忘れて大笑いした。その時のケラの挨拶文も引用しちゃおう。
『本日はようこそいらっしゃいました。全9プログラム38本を連続上映する今回の上映会もいよいよ最終日、そして1993年もおわらんとしております。今日はマルクス兄弟の「いんちき商売」と、おまけで「御冗談でショ」の短縮版、すぐ近所の映画館では今でも「我輩はカモである」がレイトショー上映されていますけど、いやはや、本当に面白いですねぇ。早くパラマウント期の5本がリバイバル上映されるといいですね。字幕付きで。で、申しわけない、今回は字幕なし、対訳シナリオで我慢して下さい。来年も機会があれば、又こうした上映会を行いたいと思っております。その時はぜひ。それではごゆっくりお楽しみ下さい。よいお年を』
これは1993年12月30日にシアタートップスで行われたものです。で、その後LDでパラマウント期の作品が発売になって、ようやく全作品を観ることができたわけです。ああ、よかった。でもこれからの楽しみがなくなってしまいました。現存しないと言われる幻のマルクス兄弟のプライベートフィルム「ヒューモリスク」が発掘されたりしないかなあ。