健康 第12回公演「カラフルメリィでオハヨ」

1991年7月17日〜22日 下北沢本多劇場


皆さん こんにちは。  ケラ

1.「カラフルメリィでオハヨ」初演の88年夏は、私にとってかなりエポック・メイキングな時期で、それは81年夏に神田嘉子さんにフラれて以来のイヤな夏だったのである。公演5日めに父は逝き、私はなんだかとてもボンヤリした気分になった。父につきそいながら、窓から射す朝日を明りにして台本を書き、初演時には演出を一任した手塚とおるに原稿を渡し、稽古に出、再び病院へ戻る。そんな生活が終り、公演も終ると、告別式で、私は喪主なのだった。それがおわると、もう何もやることがない。いや、やらなければならないことは山積みだったのだが、何もやる気がしなかっただけだ。

そして、「カラフルメリィ・・・」の次に、私達は物語を捨て、”出鱈目”をキーワードに、「問題あり」から始まる迷路に旅発った。

2.今回の公演の稽古初日、初演の台本を本読みしたところ、そのあまりの稚拙さに赤面した私は、結局、ほとんど書き直し、結果残った場面は2割程度となった。再演だからとタカをくくっていた、そのしわ寄せは大きく、恒例の私の病欠も含め、公演一週間前からの稽古場は例によって大変なパニック状態に陥った。
なにしろ、今回の芝居はかなりちゃんとした物語がある。登場人物達は、少し頭のおかしな人物も含め、皆、それぞれの人生を生きなければならない。どんなチョイ役でも、だ。
さらに、今回は”実験をやめる実験”をしようという自分の中の決め事があった為、様々な要素はすべて演劇的な方向にかなり傾いている。かつて「ホワイトソング」「ヒトとアブラ」といった作品で試みた”オーソドックスさ”を思い出し、再びそれを実施するのは、思っていたよりもずっと大変な作業だった。

3.有頂天のアルバム「カラフルメリィが降った街」、ビデオ「カラフルメリィが降った日」、さらに誰も知らない8ミリ映画「カラフルメリィを探す為に必要なニ、三の事柄」等に登場するメリィと、今回の芝居で語られるメリィとの相違は、恥ずかしいから書かない。
以前、やはり公演で配ったあいさつ文で書いたコトだが、映画「アニー・ホール」の冒頭でウディ・アレンが引用したグラウチョ・マルクスのジョーク「僕を会員にするようなクラブには入りたくない」というのはそのまま私の女性観なのであり、そんなパラドックスをスルリと抜けることのできる幻の女性観がカラフル・メリィなのではないか、とインタビューなどでは答えているが、よくわからないのです、本当のところは。

4.なんだか、とても身近な芝居なので、調光室で観ていても恥ずかしかったりするのです。今回は。

5.最後になりますが、次回は12月に、今回の公演からさらに笑いを削ぎ落とした、”ナンセンス”という言葉からは程遠い作品を”スペシャルプロデュース公演”と銘打ってSEED HALLで行います。今年は少し”出鱈目”から遠ざかり、来年からより一層深みを増した出鱈目をお送りする予定です。また、8月には今回客演して戴いた山崎一氏(パラノイア百貨店)が悪人会議の第0回公演に出演しますし、(8/23〜9/1ザ・スズナリ)10月頃にはショーコリもなく、三宅弘城と大堀浩一が「みやけとデメタンIII」をやるといってきかない。世の中、いろいろだ。