健康vol.14「スマナイ。PARTY MIX」

1992年8月7日〜23日 下北沢本多劇場


 例えば、白血病の少女を主人公にしたドラマならば、少女の死をもっていよいよ物語はクライマックスを迎えるのがフツーであり、娘の死をきっかけにして”これを御縁に”と母親と主治医とのメロドラマが始まったりすることはあまりなく、少女が入院していた病院の受付のオヤジの貧しくも温い人生にスポットが移ることもない。ましてや病院の地下室に眠っていた魔人が目を覚ましたことから起こる惨劇が描かれることもなければ、”少女が死んだ頃エチオピアでは”などというナレーションに続いてエチオピアの寂しい村での出来事が語られるなんてことも、まずないと言ってよい。
そんなことが起こりうるのはエイモス・チュツオーラの小説かモンティ・パイソンか我々の舞台位のものだ。こうした”お話”を人は”とりとめがない”だの”行きあたりばったり”だの”成り行きまかせ”だのと言って褒めてくれるので、私はいい気になってついつい長い芝居ばかり作ってしまうのだ。もちろん、通し稽古が出来るのは小屋入りの前日や前々日だからその日までに我々はこれから演る芝居の上演時間がわからないのだが、なんとなく「こりゃ長くなりそうだな」位は分かるものだ、一応、バカでも。それでフタを開けてみてどうかといえばやっぱり長い。「愛と死」も「カラフルメリィでオハヨ」も3時間近い芝居だったし、今回だってそうだ。なにしろ、ないのだから、とりとめが。
初演時のことや、モンティ・パイソンについては、ロビーで販売いたしておりますパンフレットに書いたので、ここでは触れない。ただ、”この芝居は3年振りの再演であり、モンティ・パイソンの映画『モンティ・パイソン&ホーリー・グレイル』のリメイクである、一応”とだけ言っておく。
それでは、どうぞダラーッとして御覧下さい。

1992.8.6.楽屋にて 
ケラリーノ・サンドロヴィッチ