劇団健康 第9回公演「牛の人」
1990年3月14日〜25日 下北沢ザ・スズナリ
ごあいさつ
僕らの第七回公演である「後ろ姿の素敵な僕達」は、今のところ自分の書いた芝居の中で最も 好きな作品だ。 その前の「問題あり」(番外実験公演)は初めて役者全員が台本を持ち寄って行った公演であ り、書いた人間がバラバラであるが由にギャグのトーンもバラバラだった。世間一般に知的だと 称されるような飛躍したギャグが続いた後、オチはジジイババアにもわかるような古典的なギャ グであったり、作家性の強い台詞によるギャグの中にいきなりアドリブから生まれた役者性の強 いギャグがはさまれたり。はてはギャグなのかなんなのかよくわからないシロモノもあった。そ れは、“不必要なモノは極力排除する方向に向かう”という、かねてからの主張とはまるで相反 する作品だった。しかし、前言撤回してもいーや、と思う程の魅力と可能性を、僕はそこに感じ たのだった。「問題あり」は、観る者を“妙な気持ち”にさせる舞台だった。 当然、自分の好きなトーンの“笑い”はハッキリしている。しかし不思議なことに「やりたい 芝居は?」と聞かれれば、そういった自分好みの笑いばかりで構成されている芝居ではなく、も っと混頓としたモノなのだ、と答える。きっと僕は客を混乱させたいのであり、自分自身が観客 の立場に立った時、混乱したいのだと思う。もしかしたら、ボケ老人が書いたような芝居をやり たいのかもしれない。それはきっと、計算の読めない、非常にスリリングなモノだと考えるから だ。(蛇足だが、マシュマロ・ウェーブとゆー集団の芝居はかなりソレに近いモノがあってとて もヨイ。一体何なんだ、と怒る人が半分喜ぶ人が半分だそうだ。) 「問題あり」で感じた魅力を、自分一人で書いた台本で出せるか、というコトに挑戦したのが 「後ろ姿の素敵な僕達」だった。わかりやすいドタバタや見た目受けのギャグ(それはもう、ギ ャグとすら呼べるモノではなかった)を書くのは好きではないが、全体に於ける効果を考えると それも楽しい作業となった。焦点はどんどんボケていき、物語は「つづく」と言ってブツリと切 れた。もちろんつづきなど書く気はない。客席の笑いは薄かったが、僕はこれでヨイのだ、とニ ヤリと笑ったのだった。 ◇ ◇ ◇ ところが、どんなにアナーキーな手法も繰り返すうちに定石となるもので、第九回公演の今回 にして早くもこれは終わりにしようと思う。さて、じゃあどうしようか………。 ◇ ◇ ◇ 次回公演で、健康はなんと十本めの本公演を迎える。 犬山犬子、みのすけ、大堀浩一、そして客演のタグチトモロヲを中心に旗上げしたのは22歳の 時だったから、もう五年前だ。二本めから藤田秀世、三本めから手塚とおるが参加、まつおあき らが加わった4本めからほぼ現在のパーソナルになり、徐々に、やりたいことが具体化していっ た。スタッフも、制作に東都久美子が参加した五本めからは充実の一路。動員もおかげさまで上 り坂である。しかし、どうしようか……。 ◇ ◇ ◇ どうしようかということはまだ思案中なのだが、きっとまた夏には何かとんでもなく身勝手で スリリングなコトが出来ると信じている。ダメだったら、ゴメンナサイ。 ◇ ◇ ◇ そんなワケで、なんじゃこりゃ演劇の決定版、「牛の人」である。客演には昨年秋の番外公演 に引き続き秋山奈津子さん、そしてずっと一緒にやりたかった篠崎はるくさんをお迎えしてお贈 りするです。多忙なところナレーションを引き受けて下さったキッチュこと松尾貴史さんにも感 謝。桟敷席の二時間強は少々辛いでしょーが、どーか頑張って観て頂きたい。それではさような ら。 1990年3月10日 KERA |
Special Thanks まゆかさん