NYLON100℃ 1stSESSION「予定外」

1993年8月12日〜22日 下北沢本多劇場


NYLON100℃的気分、その他

KERA


 例えば「ゴドーを待ちながら」において、ウラジミールとエストランゴンが全編を通じて決してその場所を離れないだろうことを、観客達は開巻後間もなく容易に想像できる。「インディ・ジョーンズ」でハリソン・フォードは必ず冒険するし、「釣りバカ日誌」で西田敏行は必ず釣りをする。それはそれで大変素晴らしいことだ。そもそも皆ソレを期待して観に来ているのだから、そりゃやっぱりそうじゃなくちゃということなのだろう。
 しかし、世の中いろいろなものがあった方が面白い。私が昔、なにかの時に書いた”ボケ老人に台本を書いてもらって演ってみたい”というようなことは、だから、半分冗談ながらも半分本気だ。前述したような素晴らしい作品達とはまた別の、予測不能の出鱈目的な筋書きを作ろうと思ったら、やはり無自覚のうちに書かれたものが一番だろうと思うのだ。ボケ老人じゃなければ子供でも、早い話がそこらへんのバカタレでも良い。仮にNYLON100℃のセッション用の戯曲全120枚を4歳の子供に書かせたと考えてみる。なにしろ子供だから、おわりの頃には、最初の頃に自分が何書いたか忘れてしまうだろうし、よしんば覚えていたところでもう興味ないだろう。集中力も持続力もないし、なにより責任感がないから、引き受けておきながらすぐに放っぽり出す。ふざけるなと言って叱れば泣き出すのでスタッフが交替でおもちゃを与えるのだが、遊び疲れれば眠ってしまい12時間は起きない。
 こうした困難の末にようやく仕上がった台本はおそらくひどいものだろう。だが、プロの、大人の、ちゃんとした作家が、意図して書こうとしたところで書けるものでもないハズだ。そして、そんなことを続けていけば、100本に1本位はスゲエ面白いものが出来るような気もする。気もするのだが、それでも半分が冗談でしかないのはやはりそりゃ大変過ぎるからです。じゃあいちいち書かなきゃいいようなもので、まったくその通りなのだが、んなこと言っときながら、2年後には近所のガキに本当に執筆依頼しかねないようなそうした危険な自分を、少なくともここ数年間よりは予感するのも事実だ。つまり、「やっちゃえ」という気分である。「とりあえずやっちゃえ」そんな気分が私に新しいユニット名を”ナイロン100℃”にさせた。7年前まで渋谷のセンター街にあったニューウェイブ喫茶”ナイロン100%”をマネさせて頂いたのだ。(命名についての詳細やナイロン100%については、誤植の多い売りパンフを御覧下さい、なんつて)あの頃の気持ちが、まさに「とりあえずやっちゃえ」だったからである。日々是実験だったのだ。

 で、今回劇団’双数姉妹’からお招きした田中桂子さんと今林久弥君のお二人が、初めて舞台を一緒に演るお友達です。田中さんはひょうひょうとした人で、最初はこちらの言ってることをわかってくれているのかどうか少し不安でしたが、どうやら大丈夫みたいです。今林君にはともかくもう少し東京の地理を勉強して頂きたい。山手線で迷う人を久し振りに見た気がします。
 最後に、たくさんの方々に感謝させてくださいな。千秋楽の打ち上げ会場は、きっとうだうだと喋るのもなんだなぁという空気が支配するに違いないので早々に書いてしまう。スタッフの方々、キャストの方々、毎度のことですが、一緒に演れて本当に嬉しいです、私は。なんて幸せなのだろう、と思います。そして観客の皆さん、健康の頃からの方も、初めての方も、今回は来てくれてありがとうございます。なんて幸せなのだろう、と思いますってば。

そんなこんなで、これからもいろいろな舞台をやったりやらなかったりすることと思います。次回はまた全然今回とは違ったものになるでしょう。好きな作品もあれば嫌いな作品もあるでしょう。凸凹な活動をしていきたいと思っていますのでよろしくね。じゃ、また。