NYLON100℃ 16thSESSION
「薔薇と大砲〜フリドニア日記#2」

1999年3月28日〜4月13日 新宿スペース・ゼロ


 「賛否両論」。人は気軽にそんな言葉を使いますが、真の賛否両論なんてものは、実はそうそうあるもんではないのです。ましてや<賛否両論の嵐>となるとそれはもう、滅多なことで吹くものではありません。96年7月にシアター・トップスで上演した「フリドニア」というお芝居こそ、その言葉に匹敵する評価を与えられたのでした。ただし、7割方が<否>でしたけど。曰く「笑えなかった」「重かった」「似合わない」「元気を出したかったのに」。申し分けなかった。本当に申し分けなかった。でも、しょうがないじゃん。俺は面白いと思ったんだもん。

 地図にも載っていない街<フリドニア>を様々な視点から多画的に多様な方法で描いてみましょうという<フリドニア日記シリーズ>、そんなわけで2年8ヶ月振り、ようやく第2作が日の目を見ることになりました。どうしてこんなにブランクがあったのか、その辺の経験と心境及び打算は売りパンフでもお読み頂くとして、まず心配しないでください。前作を観てなくても全然大丈夫です。

 レパートリーのひとつに<ファンタジー路線>を加えようと思い立ってからもう随分経ちますが、一行に定着しません。定着のきざしすらありません。どうしたものでしょう。まあ、確かに<ナンセンスの人でしょ?>と言われるのならまだしも、<ファンタジーの人でしょ?>と言われるのにはちょっと抵抗はありますが。ともかくこんな感じのコレが、私なりの、ナイロンなりのおとぎ話です。これはこれで、こうした作品なりの楽しみ方を楽しんで頂けたら幸いです。

 カラオケに最後に行ったのはもう2年近く前のことで、ナイロンの役者達と一緒だったように記憶しますが、その時に僕が唄ったのは「さよなら人類」でした。<たま>がこの歌で紅白歌合戦に出場したのが90年、その2年前に僕は彼らと知り合いました。僕の主宰する個人レーベル宛てに知久という妙ちきりん名前の人から送られて来たデモテープには、聴いたこともないような曲がたくさん入っていました。間もなく発表したオムニバスLPには件の「さよなら人類」で参加してもらい、その後たて続けに4曲入りシングルと12曲入りアルバムを作りました。そして、アルバムリリース直後に彼らは<イカ天キング>になって、ほどなくメジャーデヴューを果たすのですが、所属事務所は同じだったものの、その後しばらくは滅多に顔を合わせることもなくなりました。
 再び彼らとコンタクトをとるようになったのはここ2、3年のことです。メンバーは4人から3人になったけど、イカ天キングの中で解散してないのは<BIGIN>と彼らだけだし(よく知らないで書いてるけど)、今年結成15周年を迎えるというその御長寿の理由も、彼らの音楽を聴いてみれば納得できるというものです。どうか、<たま>に関するすべての先入観を捨てて今回の芝居を御覧になってみてくださいな。
 毎回毎回自分にとって励みになることを見つけてそれなりに頑張ってるんですけど、今回は<たま>の音楽に負けない芝居にしたい、との思いが、個人的には大きなエネルギーになったんじゃないかと思います。あ、もちろん役者としての3人の魅力にもね。

 コント赤信号の小宮さんと一緒に舞台を作るだなんて、高校3年生の頃、花王名人劇場を夢中になって観ていた時分の僕に教えてびっくりさせてやりたい気分です。別役実さんの台本を2本演出させて頂いた時にも感じたことですが、かつてファンだった諸先輩方とセッションできることが、芝居なんてものを続ける上での数少ないいい事のひとつです。

 最後になりましたが、昨年上演した<フローズン・ビーチ>という芝居の台本で賞を頂きました。おととし、松尾スズキさんが同賞を受賞なさった時、授賞式でスピーチを仰せつかったのですが、その時に「僕にもください」と言ったら本当にくれたのです。ここから僕が得た教訓は「欲しいものはくれと言った方がいい」です。
 御報告かたがたここに御礼申し上げます。観客の皆さんのおかげです、2割位。
 まあ、今後も変わらずにイロイロやっていくと思います。9月と10月にはナイロン初の全国ツアーを敢行します。(とは言っても北は札幌だけですが)久々に山崎一さんと、あと初めて西牟田恵さんに参加してもらって、ハデめのシチュエーションコメディを書くはず。全国で6ヶ所を回ります。12月には「ウチハソバヤジャナイ」のアルジャーノンとヤン先生が再度バトルするテクノなバカ芝居を考えております。(気の早い話ですが、大晦日にはカウント・ダウン・イベントを予定していますのであけといて下さい。)

 本日はどうも。ごゆっくり。
 
 
 

1999.3.27 ケラリーノ・サンドロヴィッチ