NYLON100℃ 6thSESSION「4A.M.」

1995年11月26日〜12月13日 新宿シアタートップス
         12月23日 パルテノン多摩

1日だけ別キャストによる若手公演もあり。


ご挨拶

 今年の丁度真ん中にバンドを活動休止してからというもの、ますます私は周囲の皆様どもにエンゲキニンとして扱われるようになったので、なんだかフォレスト・ガンプのような気分なのである。それは、かつての自分にとっては、不動産屋になるような、あるいは弁護士になるような、そしてウルトラマンや天皇陛下にになるようなものだった。もちろんいくつか適当でない例えをしてしまったことは謝りますけど、ホント人生なにがどうなるかわかったものじゃありません。それで、気がつきゃ十年も芝居を続けてしまってました。本当に申し分けない。
 一口に十年と申しましても様々な時期がありました。最初の2、3年は演劇をナメる為にやってました。で、ふと我に帰るとミイラとりがミイラです、しかし、ミイラとりってなんだ。職業か?であるならはい、ミイラとりのアルバイトと死体洗いのアルバイトではどちらが高給か?多くの問題提起をしつつ話を戻せば、次の2、3年は随分と周囲を気にしていたように思えます。周囲というのは主に同業の方々です。あの頃は、宮沢章夫さんがラジカル・ガジベリビンバ・システムでアレをやれば俺もアレをやりたい、松尾スズキさんが大人計画でこんなことやってたのを見ちゃあ俺もやってみんべ、そんなもんだったんじゃあないでしょうか。あるいはまた、ラジカルや大人計画に先にやられてしまったが為に、マネしたと思われるのが悔しくて、引き下げてしまったアイデアもたくさんありました。
 しかしまぁ、若いということはそうしたものなのではないでしょうか。あの頃は劇団だったこともあるし、今書いたように、周囲の動きをチラチラと気にしていたので、作品の変遷からはある“流れ”が見えてくる。が、どうにも三年程前にナイロンを作ってからは統一感がないというか、デタラメである。思いつきでやってる。思うに、時代への有効性とか、まるで無いぜコレって。そういう意味ではどうにも時代遅れなのかもしれないが、もしまかり間違ってあと十年も二十年も芝居を続けていたとしたら、ふと過去を振り返って、「ああ、なんだかしらないけどいっぱいやったなぁ。傑作も、駄作も、いい加減なのも、キチンとしてるのもあったなぁ」と思えれば私は満足だ。あとは、楽しければそれでいい。楽しくなきゃイヤだ。お客さんがたくさん入ってくれれば続けられる。もの凄くたくさん入ってくれれば小道具やセットやチラシのクオリティをあげられる。だけど、もし少ししか入らなくても、まあ、なんとかなるだろう。そんな風に考えている。いたってシンプルな姿勢なのである。

 それで、今回の「4A.M.」だ。5人の役者と浅草の稽古場で稽古をして出来上がった。8月にやった若手公演「カメラ≠万年筆」とはまた違った意味で“お芝居っぽい”かもしれない。お芝居であることでつきまとう、ある種の違和感や嘘臭さに対し、たまには照れずにやってみるのも面白いと思った。静かな演劇ブーム(笑)に背を向けるわけではないし、むしろイロイロあった方が面白いという意味で大いに盛り上がって頂きたいが、今回はそういう世界とは全然違う、つまり、その、“お芝居”である。楽しんで帰ってくださればこんなに幸せなことはありません。

 それはそうと、なんと今年ももうおわりっスね。我々のお芝居も95年はこれで最後です。来年は怒涛のように4本をたて続けに上演します。ご期待下さい。
 最後に、いつものことですが、この作品に関わってくれたすべてのスタッフ、5人の素晴らしい役者、そしてご来場下さったお客様に、心より謝意を述べさせて頂きます。それでは、少し早いですけど、よいお年を。

P.S 御存知の方も多いかと思いますが、今回の作品にはアナザー・バージョンがあります。いつも私の片腕となってくれているタイチ君が演出、若手精鋭5人が若さをもってレギュラーに立ち向かいます。知らないけど。実は私もまだその全貌を知らないのですが、選曲をはじめ、随分と違った作品となっていることと思います。よろしければ、こちらの方にもぜひお出掛け下さい。



1995.11.26 PM1:38  ケラリーノ・サンドロヴィッチ


Special Thanks ミミナリさん