シリーウォーク・プレゼンツ「お茶と同情」

1993年2月19日〜28日 下北沢本多劇場


「お茶と同情」について


この芝居は私が初めて書いた作品です。
お笑いではありませんし、SFでも歴史物でもありません。
この芝居は私の芝居です。
自分の父や母、叔父さんや叔母さん、その他私の少年期になんらかの形で関わって来た人々の芝居です。私はこの人達の中で泣いたり笑ったりして育ちました。そのやって生活をしてきた日々の、何でもない一日を切り取ったスケッチがこの芝居です。
退屈だと思う人もいるでしょうし、笑っちゃう人だっているでしょう。寝ちゃう人だってきっといる筈です。
それでいいのだと私は思います。
それでこそ私の少年時代だと思うのです。
 今、私が一番心配な事はメイク道具の事です。十数年芝居をやってきて初めて役者として関わる事のない舞台なので、勝手が良くわかりません。私はきっと楽屋にメイク道具を持って行ってしまう事でしょう。メイクをした演出家などあまり見ませんし、どうメイクして良いのかも分かりません。色白の方が良いのか、日に焼けてた方がかっこいいのか…
第一、楽屋は有るのでしょうか。楽屋が無かったらいったいどこでメイクしたら良いのでしょう?こんな事を心配する位なら役者の方が全然楽チンだと私は今考えています。  今回は自由劇場の内田紳一郎さんを始め、藤田さん、みのすけさん、三宅さん、犬山さん、秋山さん、今江さん、長田さん、峯村さん、江馬さんそしてKERAさんに出演していただきました。皆さんがいなかったらきっとこのお芝居は出来なかったと思います。
本当にありがとうございました。
 先日、サインペンのキャップをなくしてしまいました。ペン先は渇き、インクは固まってしまってまるで粘土の様にそこへへばりついています。私はこのペンでこのお芝居を書きました。私はそのペンをゴミ箱へ捨てて、新しいペンを買おうかどうか今算段中です。

1993年2月17日 本多劇場にて 手塚 とおる


 「お茶と同情」以外について

 いやー、本当に早いものです。健康解散からもう半年ですよ。
 解散公演も銘打たなかったし、まあ、おわりだとゆーのにそう騒いでも仕方がないだろうってことで、あまりオオゴトにしないでおいたのですが、そのことがかえって多くの方々を驚かす結果になってしまったことに驚いています。なんとも申し訳ありません。でもホラ、大丈夫。似たようなメンツで今回もこんなことをやっています。役者はほとんどいつもと変わらぬ顔ぶれだというのに、一体どこが健康と違うのか。それは観て頂ければ一発でわかります。そもそも今回私はこんなところにシャシャり出て来てこんなこと書けるような立場じゃない。だからお芝居の内容については、作、演出家である手塚とおるが書いた文章におまかせします。
 “それじゃあ今後のことを書け”とゆー制作からのお達しなのですが、例によってこれからのことはまったく未定なので…。あ、でもただ一つ言えるのは、DM名簿に載っている方(つまり、いつもアンケートを書いてくださっている方)には届いたハズのあのハガキにも書いた通り、“我々は舞台を降りませんよ”とゆーことです。だからアレです、まだ具体化していないのでヒミツですが、なんか大変なことが起こるワケで、しかしそれは決して“健康再結成”なんてことではないワケで、つまり、健康では決して成し得なかった驚くべき舞台を、我々は作り出してしまうのでしょう。そして、それは、小劇場界なんてところからは無関係にあり続けることを望みます。“望みます”なんていきなり弱気なのは、こんな話を最近聞いたからなの。
 本多劇場では満席の劇団新感線のチケットが、川崎クラブ・チッタでの公演ではまるで売れなかった。
 つまり、演劇のお客さんはライブハウス、しかも川崎のライブハウスになんか行きたがらないとゆーことです大雑把に言っちまえば。まだまだ保守的な世の中です。皆さんの協力が必要です。なんだか政治運動みたいです。
 で、前哨戦っつーか、リハビリみたいなステージを4月15日、16日の2日間、渋谷のラブ・ホテル街にある ON AIR とゆーライブ・スペースで行います。(2日間の内容は同じ予定。)今迄誰もやったことのなかったショーの気配がするハズです。ぜひ体験してほしいと思います。詳しくは、折り込みのチラシを。3枚のCDもぜひって、なんだい、結局宣伝かよ。
 そんじゃまあ、今後ともひとつ大目に見てやって下さいね
 Good−Luck!

1993.2.16.KERA  


Special Thanks ミミナリさん